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瀧廉太郎 我神洲 [廉太郎17~20才]

明治32年(1899)11月に萩原太郎編「新撰小學唱歌」~中村鐘美堂発行~ の中で発表した曲です。(廉太郎20才)

これは、2年前に発表された「日本男兒」の終わり部分に8小節付け加えて編曲したものです。
今聞くとかなり勇ましい音楽です。日清戦争(1894~1895)直後のまだ若い日本の中で廉太郎も熱い思いがあったに違いありません。


作曲: 瀧 廉太郎
作歌: 砂澤 丙喜治


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『我が神洲』 作歌 砂澤 丙喜治

一、
我神洲の正大気 凝(こ)りて咲きけむ桜花
大和男兒の眞心は 朝日に匂ふや桜花
花はちりてぞ香を留む 人は死してぞ名を残す
行けや壮夫(ますらお)魁(さきが)けて 朝日の御旗翳(かざ)しつゝ

二、
轟然一発轟けり 見るや大砲火を吐ぬ
霹靂(へきれき)一声響たり 散るや味方の榴霰弾(りゅうさんだん)
天晴砕けぬ敵の陣 見事摧(くだ)けぬ敵の陣
朝日の御旗翳しつゝ 進めや進め壮夫よ

三、
百練経たる日本刀 抜くや秋水(しゅうすい)影寒し
大和男兒が此刀 提(かか)げ持ちて敵軍を
右に左に斬り捲(まく)る 萬事鞆絵(まんじともえ)に斬り回る
行けや壮夫魁けて 朝日の御旗翳しつゝ

四、
いばえの声も勇しや 蹄の音も勇しや
阿修羅の暴し騎馬の武者 土砂巻き揚るつむぢ風
敗れし敵の木の葉武者 乱れ散りつゝ崩れたり
朝日の御旗翳しつゝ 進めや進め壮夫よ
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暘谷城址ようこくじょう(大分県日出町)
瀧家が代々仕えた日出藩木下家の城で木下家初代は豊臣秀吉の妻、ねねの甥にあたる。
廉太郎の父もここ日出で生まれた。
先祖代々の墓もこの地にあり廉太郎も訪れたであろうことから、荒城の月とも少なからず関係しているという説もあります。日出町のHP
IMGP4101.gif
2010/8/3撮影


天守跡から望む別府湾
城の下がすぐ海で、ここで獲れるカレイは、 「城下カレイ」として有名です。
IMGP4094.gif
2010/8/3撮影


瀧廉太郎像(朝倉文夫作)
暘谷城大手門前に建てられています。
旧東京音楽学校奏楽堂などにあるものと同じものです。
IMGP4111.gif
2010/8/3撮影




※一人で3回歌って多重録音しています。
2010/8/4録音

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