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瀧廉太郎編曲 無常 [編曲作品]

原曲はローレライで有名なジルヒャー Friedrich Silcher(1789-1860)作曲の
"Der Soldat"という曲です。

作曲: ジルヒャー
作歌: 中村秋香
編曲: 瀧廉太郎


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原曲の歌詞です。左上のMelodieをクリックするとmidiで聞くこともできます。
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『無常』 作歌 中村秋香

一、
はかなきは 人の世
悲しきは 人の身
今日ありて あすなく
今ありて 後なし
あなかなし はかなし

二、
なげかじな なげかじ
なげくとも かひなし
今日人をおくる身
明日はまた人にぞおくられん
あゝあゝ

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※一人で各3回ずつ歌って多重録音しています。
※ピアノはMIDI (Steinberg The Grand 3使用)
2011/4/30録音
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瀧廉太郎編曲 勇兵 [編曲作品]

瀧廉太郎の編曲作品です。
原曲は、デンマークのホルネマン Emil Horneman(1809-1870)作曲の
Den tapre Landsoldat(勇敢なる兵士)です。

作曲: ホルネマン
作歌: 中村秋香
編曲: 瀧廉太郎


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これが原曲でしょうか?
【デンマーク軍歌】Den Tapre Landsoldat 勇敢なる祖国の兵士

楽譜pdfはこちら
( 元サイト http://www.erlingmusic.dk/23257/Denga... )


Den tapre Landsoldat.jpg
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『勇兵』 作歌 中村秋香

一、
矢弾(やだま)の雨 剣の霜
雨はつくべく 霜ふむべし
あなおもしろ あなおもしろ
きたれやきたれや とくきたれや
われと思はん者はきたれ
勝負を決せん
はなばなしく
つるぎなりと 矢弾(やだま)なりと
きたれきたれ

二、
わがまへには また敵なし
千軍なんぞ 万馬なんぞ
たゝますます きょうぞふかき
きたれやきたれや とくきたれや
われは名におふ 大和男児
相手にとって 不足あらじ
いでやきたれ いざとくとく
きたれきたれ

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※一人で各3回ずつ歌って多重録音しています。
※ピアノはMIDI (Steinberg The Grand 3使用)
2011/4/24録音

2020/2/22 参考動画差し替え
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瀧廉太郎編曲 尽せや [編曲作品]

nanohana6.gif
編曲作品は作曲年代が不明なものがほとんどですが、大部分は18~19才前後に書かれたと考えられています。
この曲は鉛筆書きの手書き譜が残されていて「必要」「正」の文字が記されています。

今この音楽を聞くと「旋律」と「軍歌調の歌詞」の間に違和感を感じます。
しかしそのことは、西洋音楽が入ってきたばかりの日本で、廉太郎がその音楽をいかに自分のものに、そして日本人のものにしようと様々な試行錯誤をしたかが伺えます。
そしてそれが荒城の月、花などの名曲につながっていったのです。

【2011/6/4追記】
これが原曲でしょうか?
曲名は"Und schau ich hin, so schaust du her"となっています。


原曲: ドイツ南西部シュヴァーベン地方の民謡(原題:Liebesqual 愛の苦しみ)
作歌: 中村秋香
編曲: 瀧廉太郎


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『尽せや』 作歌 中村秋香

一、
つくせやつくせや つとめてつくせや
心のかぎりを 日本男児
つくせ たゆまず つとめてつくせ
日本男児
御国を世界のはこくとするこそ
われらがつとめよ 日本男児

二、
強兵富国は はこくの いしずゑ
学術技芸は はこくの もと
きづけはこくのいしずゑ たてよ
はこくの もと
御国を世界のはこくとせずして
やむべきものかは 日本男児
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※一人で各4回ずつ歌って多重録音しています。
※ピアノはMIDI (Steinberg The Grand 3使用)
2011/4/2,3録音

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瀧廉太郎編曲 友の墓 [編曲作品]

瀧廉太郎は、作曲以外に編曲も行っています。
その当時の日本には外国の曲はそれほど多くはなかったことと思いますが11曲の作品が残されています。


この「友の墓」の原曲はローレライで有名なジルヒャー(1789-1860)作曲の
"Der alte Barbarossa"という曲です。

作曲: Friedrich Silcher
作歌: 小森松風
和声: 瀧廉太郎


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原曲について【2011.4.24追記】
楽譜pdfはこちら
( 元サイト http://imslp.org/wiki/Der_alte_Barbarossa_(Silcher,_Friedrich) )

その他の楽譜pdf
( 元サイト http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Der_alte_Barbarossa_(Friedrich_Silcher) )

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『友の墓』 作歌 小森松風

一、
苔(こけ)生(お)ひしげり 卒塔婆(そとば)くちて
碑(いしぶみ)讀(よ)めぬ 友のみ墓
手向(たむ)くる花に 舞へる蝶は
み魂(たま)かあはれ 力なげに

二、
思へば悲し 友のみ墓
菫(すみれ)は咲きて 蝶は舞へど
ゆかしき歌は 永久(とは)に絶えて
眠むるかあはれ 苔の下に
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※一人で各パート3回ずつ歌って多重録音しています。
2011/3/26,27録音

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【瀧廉太郎の墓】

瀧廉太郎が眠る瀧家の墓所は、廉太郎が亡くなった大分市にあったのですが、今月、大分市から日出町に移されました。車で40分ぐらい北へ行った所です。
もともと瀧家は日出藩に仕えていたため先祖代々の墓は日出町龍泉寺にあるからです。
詳しくは下の記事参照(クリックで拡大します)
20110213瀧廉太郎墓記事.gif

20110321瀧廉太郎墓完成.gif



ここです




龍泉寺の門(日出町) (2011年3月23日撮影)
龍泉寺門.gif


瀧家の歴代の墓が並んでいます (2011年3月23日撮影)
龍泉寺全体.gif


今月移設された「瀧累世之墓」(右)と音楽学校同窓有志によって建てられた
「嗚呼天才之音楽家 瀧廉太郎君碑」(左) (2011年3月23日撮影)
瀧累世之墓.gif


こちらは、移設前 (2010年7月6日撮影)大分市萬壽寺
このときは、向かって左隣りにあった妹イク(廉太郎が亡くなる5年前に11才で死去)
の墓が移転後は向かいあって建っています。
萬壽寺.gif


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瀧廉太郎 水のゆくへ [廉太郎23才]

【2010.12.18追記】
この曲の作詞者が判明したという記事が今日の地方紙に掲載されました。
(クリックで拡大します)
20101218橘糸重新聞記事s.gif


明治35年10月31日の日付の入った自筆楽譜が残っています。
楽譜の1ページ目の全面に朱書きで「不要 但し参考用」と書かれていることから完成された作品ではないのかも知れません。

亡くなる半年前、病気のためドイツ留学から帰った直後の作です。
帰国の無念と死の予感を感じさせる作品です。

作曲: 瀧 廉太郎
作歌: 橘 糸重

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『水のゆくへ』 作歌 橘 糸重

木末(こずゑ)のうそぶき 静かになりて
草葉のさゝやき 消えゆく夕べ
 しげみをぬひて 流るゝ水に
 うつれる星かげ 三つ四つ二つ
  やどれる光は よどむと見れど
  流れて流れて たえせぬ水
 あはれいかにか 思ひせまりて
 いずこのはてに 急ぎゆくらむ
  あはれ いずこのはてに
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瀧廉太郎の眠る「瀧累世之墓」(中央)
と音楽学校同窓有志によって建てられた「嗚呼天才之音楽家 瀧廉太郎君碑」(右)
(大分市萬壽寺)2010/7/6撮影
rentaro_grave.gif

萬壽寺境内 2010/7/6撮影
manjuji.gif

※各パートを一人で3回ずつ歌って多重録音しています。
伴奏のピアノはMIDI打ち込み、音源は"HAlion One"使用。
2010/7/17録音

瀧廉太郎 メヌエット [廉太郎21才]

明治33年(1900年)10月1日の日付の入った自筆楽譜が残されています。花を含む「四季」が出版されたのが翌月ですから、花などを作曲した直後の留学も決まり前途洋々の頃の作品です。

ピアノ曲は、この曲と晩年の「憾」(うらみ)の2曲が残されています。対照的です。



ちなみに廉太郎の故郷大分では、県庁の昼休みの始まり12:00に毎日この曲が流れます。

【追記】2010.10.7
ピアノ音源を変更しました。(Steinberg HALion ONE→Steinberg The Grand 3に変更)


※ピアノはMIDI打ち込み。
2010/4/29-8/14制作

瀧廉太郎 憾 (うらみ) [廉太郎23才]

瀧廉太郎の絶筆。
彼の2曲のピアノ曲のうちの1曲です。
亡くなる4ヶ月前に作曲されたものです。




【追記】2010.10.3
ピアノ音源を変更しました。(Steinberg HALion ONE→Steinberg The Grand 3に変更)


※ピアノはMIDI打ち込み。
2010/4/29-7/1制作

瀧廉太郎 荒城月 [廉太郎21才 [中学唱歌]]

明治34年(1901年)3月30日に出版された『中學唱歌』から『荒城月』です。
(その他の『中學唱歌』の瀧作品 『箱根八里』 『豊太閤』

初版時は『荒城の月』ではなくて『荒城月』という題だったそうです。(一番下参照)


作曲: 瀧 廉太郎
作歌: 土井晩翠


【YouTubeでも公開しています】



荒城の月のモデルといわれている岡城跡~大分県竹田市 (2004年9月22日撮影)
039岡城.gif

岡城二の丸跡の瀧廉太郎像 (2004年9月22日撮影)040瀧廉太郎_岡城.gif

廉太郎は、12~14才の2年半、竹田で過ごしその後東京へと旅立ちました。

竹田の旧宅・現瀧廉太郎記念館  (2010年8月29日撮影)竹田旧宅1.gif

玄関入り口 (2010年8月29日撮影)<竹田旧宅2.gif
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『荒城月』 作歌 土井晩翠

第一章
春高樓(かうろう)の花の宴 めぐる盃(さかづき)かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え)わけいでし むかしの光いまいづこ

第二章
秋陣營(じんえい)の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の數(かず)見せて
植(う)うるつるぎに照りそひし むかしの光いまいづこ

第三章
いま荒城のよはの月 替(かは)らぬ光たがためぞ
垣(かき)に殘(のこ)るはたゞかつら 松に歌(うた)ふはたゞあらし

第四章
天上(てんじゃう)影は替(かは)らねど 榮枯(えいこ)は移る世の姿
寫(うつ)さんとてか今もなほ 嗚呼(あゝ)荒城のよはの月
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よく言われているように、廉太郎は2小節目「花の宴」の部分に#を付けていますが、現在よく歌われているのは、大正時代に山田耕筰の編曲により#が無くなり、テンポもゆっくり(8分音符が4分音符に、8小節が16小節に)のものが一般的になっています。今回は、もちろんオリジナルです。

この#は、発表当時も議論されたようで、#はない方がよいといった批評までされたようです。
昔の日本人にはよほど違和感があったようですが、いろんな音楽を聴いている現代人には、全く抵抗はないと思うのですが?

中学唱歌 (明治34年(1901年)3月30日出版)
中学唱歌.gif

中学唱歌に掲載された荒城月(クリックすると拡大します)荒城の月.gif

※一人で3回ずつ歌って多重録音しています。
2010/9/26録音

【2012.9.16追記】曲名について
明治34年初版時は、『荒城月』であったのが明治35年7月発行(第5刷)では『荒城の月』となっていたそうです。(大分県先哲叢書)
ここでは初版当時のまま『荒城月』としました。
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瀧廉太郎 箱根八里 [廉太郎21才 [中学唱歌]]

明治34年(1901年)3月30日に出版された『中學唱歌』の3曲 『箱根八里』 『荒城月』 『豊太閤』の中の『箱根八里』です。

この出版の1ヶ月後『中學唱歌披露演奏会』が開かれ、38曲の中から13曲が演奏され中でも人気が高く、評価も高かったのが『荒城の月』ではなくてこの『箱根八里』だったそうです。


作曲: 瀧 廉太郎
作歌: 鳥居 忱


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『箱根八里』 作歌 鳥居 忱

  第一章   昔の箱根

箱根の山は 天下の險 函谷關(かんこくくわん)も物ならず
萬丈(ばんぢゃう)の山 千仞(せんじん)の谷 前に聳(そび)え後(しりへ)にさゝふ
        雲は山をめぐり
        霧は谷をとざす
晝猶(ひるなほ)闇(くら)き杉の並木 羊腸(やうちゃう)の小徑(せうけい)は苔滑か
       一夫關(いっぷくわん)に當(あ)たるや萬夫(ばんぷ)も開くなし
天下に旅する剛毅(がうき)の武士(もののふ)
大刀(だいたう)腰に足駄(あしだ)がけ 八里の岩ね踏み鳴す
       斯(か)くこそありしか往時の武士


  第二章   今の箱根

箱根の山は 天下の阻(そ)蜀(しょく)の棧道(さんだう)數(かず)ならず
萬丈の山 千仞の谷 前に聳え後にさゝふ
        雲は山をめぐり
        霧は谷をとざす
晝猶闇き杉の並木 羊腸の小徑は苔滑か
       一夫關に當たるや萬夫も開くなし
山野に狩する剛毅の壯夫(ますらを)
獵銃(れうじう)肩に草鞋(わらじ)がけ 八里の岩ね踏み破る
       斯くこそありけれ近時の壯夫
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※一人で3回ずつ歌って多重録音しています。
2010/9/26録音
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瀧廉太郎 豊太閤 [廉太郎21才 [中学唱歌]]

明治34年(1901年)3月30日東京音楽学校から、中学の教科書用に『中學唱歌』が出版されました。編纂にあたり専門家への委嘱および一般公募により約200曲の中から38曲が選ばれました。廉太郎も3曲(一人3曲までの制約があった)応募し3曲とも選ばれました。

『荒城月』 『箱根八里』 『豊太閤』の3曲です。

この出版の1ヶ月後『中學唱歌披露演奏会』が開かれ、38曲の中から13曲が演奏されました。その際この3曲も選ばれ特に『荒城の月』 『箱根八里』は、大変好評だったそうです。

今回は、あまりなじみのない『豊太閤』です。
私自身も今まで聞いたことがありませんでした。
歌ってみるとまさに軍歌です。廉太郎は他にも軍歌を作っています。日本男兒命を捨てゝ我神洲軍(いくさ)ごっこです。これを創る労力を他の曲に注げばもう数曲の名曲が残っていたかもしれません。


中学唱歌の募集については、歌詞を一般に公表し応募者が詩を選択し曲を付けるといった方法だったようです。
廉太郎がこの『豊太閤』に曲を付けたのは、単なる偶然では無かったかもしれません。というのも瀧家は代々日出藩(現在の大分県速見郡日出(ひじ)町[別府の北隣りに位置します])の家老職も勤めた家でした。
主君である日出藩主木下氏の、初代木下延俊は、豊臣秀吉の正室北政所(ねね)の甥にあたり瀧家にとって豊臣秀吉は、代々仕えた主君に繋がる特別の意味がありました。廉太郎もそういった先祖の誇り持ち続けていたのではないでしょうか。



作曲: 瀧 廉太郎
作歌: 外山正一


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『豊太閤』 作歌 外山正一

第一章
戰(たゝか)へば勝ち攻(せ)むれば取る 僅(わづか)に數年(すねん)天下を一統(いっとう)
布衣(ほい)より起(おこ)りて四海(しかい)を治む 御門(みかど)の震襟(しんきん)初めて安し
國家の隆盛是より興(おこ)る 類(たぐゐ)無き智恵比類なき武勇
嗚呼(あゝ)人なるか 嗚呼神なるか 嗚呼太閤(たいかふ) 豊(ほう)太閤

第二章
萬里を隔(へだ)つる外國(とつくに)なるも 傲慢(がうまん)無禮(ぶれい)の振舞あらば
討ちて懲(こら)して降参せしむ 何より重きは國家の名譽
振(ふる)ひに振(ふる)ひし日本の国威(こくい) 輝き揚(あが)りし皇國(みくに)の國旗
嗚呼(あゝ)人なるか 嗚呼神なるか 嗚呼太閤(たいかふ) 豊(ほう)太閤

第三章
太閤出(い)つれば日本は狭し 世界に示せる無類の功(いさおし)
萬里の果まで聞ゆる譽れ 皇國(みくに)の名聲(めいせい)彼(か)れ故(ゆえ)高し
日本男兒の誠の鑑(かゞみ) 日本魂(だましひ)斯(か)くこそあれよ
嗚呼(あゝ)人なるか 嗚呼神なるか 嗚呼太閤(たいかふ) 豊(ほう)太閤~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

瀧家の菩提寺 『龍泉寺』  大分県速見郡日出(ひじ)町  (2010年7月10日撮影)
IMGP4042.gif


『龍泉寺』瀧家先祖の墓  大分県速見郡日出(ひじ)町  (2010年7月10日撮影)
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【日出藩暘谷城址】
右下にある暘谷城が木下氏の居城でした。瀧家もそのとなりの日出幼稚園のあるあたりに住んでいました。
ちなみに私も以前その付近に住んだことがあります。すぐ近くにある日出中学校は私の母校です。暘谷城二の丸にあります。本丸跡には小学校が建っています。




暘谷城址に建つ日出小学校 (2010年8月3日撮影)
IMGP4114.gif

日出中学校(日出小学校東隣り)  この写真の奥に瀧家の家がありました (2010年8月3日撮影)
 [私の母校です!]
IMGP4072.gif




※一人で3回ずつ歌って多重録音しています。
2010/9/25録音


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